ラコ論 *罪悪感*
ラコ論です。この頃ハヤリの罪悪感について、プチ論じます。
↑デリーの鶏肉やさん。
*罪悪感*
「これなら食べても罪悪感ゼロですね〜!」
・・・っていう、食事に対するこのコメント。いつの間にか浸透してますね〜!誰が言い出したんだろう?うまいこと言いましたねぇ。「そんなに罪悪感あるなら食べなきゃいいのに」なんて言ったら刺されそうだから言いませんが、そう言いたくもなる程、目に耳につきます。
食べることに「罪悪感」。飽食の世ならではの感覚ですよね。食べたくても食べられない人が地球上にたくさんいるのにワタシは食べる、ということに対する罪悪感じゃなくて、”自分”のための罪悪感ですからね。
とはいえ、「この国に食べ物が充分じゃなかった時代は・・・」なんて昔話をしてもナンセンスです。だって、絶的にもうそうじゃないんだし、今と昔のどっちが良いかなんて人それぞれだし、世の中の変化は良いとも悪いともいうものじゃないですから。ただ、ダイエット(健康管理という広い意味で)目線でばっかりじゃなくて、食べることへの”感謝”という意味での罪悪感覚を、忘れたくないなぁと思うのです。
「脂肪分が少ない赤身を使っているから、罪悪感無く食べられますね!」
っていう料理のためにウシが死んでるっていう罪悪感。
「付け合わせのポテトは食べなければ、罪悪感も少ないですね!」
って時に残されるイモと、作ってくれたヒトへの罪悪感。
ダイエットしている”自分”のためにどんだけの罪悪感に苛まれながら生きているヒトがいるのか想像の範疇を超えますが、動物にも植物にも農家さんにも作ってくれた人にも、ありがとうの気持ちをいちばんに持っていたいなぁというお話でした。
↑ピヨりん に関しては、また別の罪悪感・・・