旅するラコブログ

バックパック旅行記や、辛いもの、ビールのこと、書き留めておかなきゃ忘れそうな些細な思いを綴ってゆきます。

カンボジア・タイ・ミャンマーの旅2016 *シェムリアップ1日目①〜なには無くとも、アンコールワット〜*

旅日記です。今回の旅のきっかけにもなったアンコールワットへ、いざ!

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アンコールワットでオチョケる外人さん。まぁ、やるわなw

 

シェムリアップ1日目① 〜なには無くとも、アンコールワット〜*

 未明に到着したゲストハウスで短くも深い眠りを得て、8時頃に起床。ぐっすり眠って気分爽快!睡眠の大切さを実感。ちょうど時を同じくして、同室のオニイチャンたちも目を覚まし始めていた。話してみると、対面のベッドにいたのは日本人じゃないですか!彼の名はタク。幾つか年下の、筋金入りのバックパッカーだった。前日は悪天候で宿でゴロゴロしていたものの、前々日には隣のベッドのメキシコ人と共にアンコールワット周辺をレンタルサイクルで廻ってきたとのことで、太腿の筋肉痛を訴えてた。私も自転車で廻るつもりだと告げると、「マジか!きっついぜ〜」と忠告してくれながらも、ゲストハウスから最寄り&安いレンタルサイクル屋の場所や、アンコールワットの入場チケット売り場(これが、アンコールワット遺跡郡からけっこー離れたところにある)への行き方など色々教えてくれた。二人とも今日は個々でアンコールワットを散策するそうだ。私はとりあえずシャワーを浴びてからの出発だ。
 
 シャワーとストレッチで体制を整えて、いざ出発!・・・とその時、フロントで呼び止められた。「今日も泊まっていくの?」いやいや、ネットで今日の1泊予約してますやん。と説明するも、どうも話が噛み合わない。よくよく聞くと、なんと。私はこの日ではなく、前日の一泊を予約してしまっていたのだった。つまり、超早チェックインさせてもらえたと思っていたのが、超遅チェックインだったというワケだ。このブッキングをしたのは、前日。キャップを無くしてパンツとブラジャーを置き忘れた、あの夜だ。つくづくあの日はボケボケだったなぁ。自分で自分に呆れつつも、早朝からベッドに入れたので結果オーライという事で、改めてこの日と翌日の宿泊をお願いして、さあ出発!
 明るい時間に表から見ると、どうやらここは一階が食堂でそちらが目立っているようで、一見してゲストハウスといった風ではない。なるほど、ド地元でもないバイタクドライバーには酷な場所だった。
 30秒ほど行くと、何やら中華系の食堂があり、地元民と思わしきお客さんでごった返している。ヒョイと覗いてみると、通りに面した鍋では、実に美味しそうなツミレのようなものが次々と作られている。奥の厨房はものすごい活気だ。オープンテラス(といえばいいのか?)なのでみなさんの食べているものもチラ見してみると、大きく分けてお粥ものと麺ものの2種がメインのようで、香港の朝食に似た風だ。どれも美味しそうで、いや、そもそもこれだけの繁盛店が美味しくないワケがない。朝ごはん決定!
 早速入店すると店員さんは中華系のようで、英語のE(え)の字も通じない。そんなことはどうでもいいので、横で食べている人の丼を指して「あれ!あれ!」とオーダー。汁麺に色々な具材が入ったものだった。さっき見たツミレ、入ってるかなぁ・・・とソワソワ待つこと数分、着丼!これがメッッッッッッッッッッチャ美味しい!!!空腹も手伝ってか、さっぱりとしながらも滋味に富んだクリアーなスープに歯切れのいい細麺、具材は先のツミレ(たぶん豚)と豚モツにレタスとパクチー、別添えのモヤシに味変用(かどうかは不明)のレモン。このツミレもモツも何もかも、超絶に美味しい!!!こんな店が近所にあったら・・・!!!もうマンプクプーながら箸を置くのが惜しく、ついつい食べすぎるの巻。お会計は2.5$。そういえばプノンペンでは結局、屋台然としたところでしか食事をしていなかった為に全て1$で済んでしまっていたので、ちゃんと食堂で頂くとこのくらいするのか、と知った。にしても安い。

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↑超絶おいしかったやつ!!!!!


 $といえば、カンボジアではリエルという通貨があるのだが、入国時にはUS$だけあればいい。リエルを作っていく必要は全くない。$支払いで、お釣りがリエルで返ってくるのだ。$が使えないというところは一切ないと言っても過言ではなく、逆にリエルが使えない場合すらある。また、カンボジアを出てしまうと、たとえ隣国であっても両替はできないので、出国時にはいかにリエルを使い切ってカンボジアを去るかがコツである

 話は逸れたが、とにかくシェムリアップ滞在中はこの店に通うことを決意して、改めてレンタルサイクルショップを目指す。タクさんから聞いた場所はとても明瞭であったが、この私がストレートに辿り着けるわけがない。ということは自分でもわかっているので、案の定道に迷った自分に焦ることもなく、人に尋ね尋ね、ようやくそれらしき店を発見。すると、ちょうど同室のメキシコ人が、彼も自転車を借りに来ていた。店員さんが私に5$のマウンテンバイクを勧めると、その西洋人が割って入って「彼女にも1$のママチャリを貸してやれよ!ママチャリで充分だ!」とねじ伏せ、私にも「いいか、高いのを借りる必要ないからな!ママチャリで充分だからな!」と念を押し、アンコールワットの入場券売り場への分かりやすい行き方を改めて伝授してくれ、一足先に出発していった。MTBの方が楽そうだったが、もはや私に選択権はなかった。(ちなみに、道を尋ねたある人には「免許証なんか持ってなくてもチェックされないから原付の方がいいよ」とレンタルバイクも勧められたが、不安要素が多すぎるので止めておいた。)
 出されたママチャリは、ポンコツという言葉をそのままチャリンコにしたようなポンコツだった。確実に20世紀の、いや、昭和のママチャリだ。変速なんて以ての外、ブレーキの効きも怪しくチェーンもいつ外れてもおかしくない容体であったが、並んでいたどのママチャリも似たり寄ったりだったので、おとなしくこいつを相棒とした。

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↑この日の相棒、彼の名はポンコツ

 

 店を後にして、まずはチケットセンターを目指す。メキシコ人の教えと地図とでは微妙に違うような感じがしたが、彼の教えるとおり(のはず)に行ったら、例によって迷走。謎の山道に入ってしまう。またも尋ね尋ね、やっとこさチケットを購入。
 さあ、ここからが本番!目指すは遺跡郡!今更ながら、世にも有名なアンコールワットというのは遺跡郡のうちの一つで、それ以外にもたくさんの遺跡がこの周辺15km四方に点在している。であるので、多くの観光者は各々の滞在日数や体力に合わせて、タクシーやトゥクトゥク、原付や自転車などを調達して巡るのだ。
 どの遺跡から廻ろうかと考えたが、距離感やチャリンコでの所要時間もイマイチ掴めないので、まずはメインのアンコールワットを目指す。ほぼ一本道なので、さすがに迷うことなく到着できた。駐輪場にチャリを停め、いよいよお堀を渡って中に入ると・・・あまりのスケールに、どこからどこが何なのかわからない!『地球の歩き方』内の図解をもとに、あ、たぶんこれがココだな、これがこの壁画?かな?と、キョロキョロ。石造りのそれは周囲の自然に溶け込み、蒸した苔も美しく、構造の細部まで「これどーやって造ったんだ!?」という驚きばかりで、どのくらいの頻度で写真を撮ったらいいのかの感覚も麻痺した。これは、いちいちじっくり見ていたら日が暮れるわ・・・!この後の遺跡と移動にどのくらいの時間を要するのかも見当がつかないので、なんだかムラのある散策になってしまった。遺跡オノボリサン丸出しである。前半にやたら写真と撮り、途中からほぼほぼノーフォトというバランスの悪さで、アンコールワットを後にした。

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↑おもしろ写真とか

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↑壁画とか

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↑スゲースゲー言いながら何でもかんでも写真撮ってたら埒があかないと気付くまでもう暫くかかったw


 するとここでミラクル発生!アンコールワットの出口で、タクさんとバッタリ!こんなことってある〜!?この後はアンコールトムへ行くとのことで、私と同じプランだった。こういう時、「じゃあ一緒に行きます?」と自分から言えない。一人旅している人だから特に、一人で廻りたい人なのかな、で、しかも誘われたら嫌とは言えない人だったら悪いしな(私がそうだし)など一瞬で色々考えた結果、「じゃあ私、チャリ向こうに停めてるんで、取ってきますね」と言って、チャリを取りに行ってみた。絶妙に曖昧なニュアンスである。戻ってくると、そこにタクさんはいなかった。あ、行っちゃったんだ。ま、いいんだけどね。一人で行こうっと。・・・とペダルに足をかけたところで、「あ、じゃ行きますか。」と後ろから声が。タクさんだ!私が遅かったので(実は自分の自転車を見失って暫しウロウロしていたのだ)木陰でタバ休(タバコ休憩)していたそうだ。お待たせしてすみません。そして、待っててくれてありがとう!

 というわけで、ここからは2人での遺跡巡り。アンコールトムを目指すのであった。

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↑ザ、アンコールワットなやつですよ。


 

ラコ論 *日常における、郷に入りては*

ラコ論です。いつもよりちょっとトゲが出てるかもしれません。

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ミャンマーの屋台。このカンジを、楽しまなくちゃ。 

 

*日常における、郷に入りては*

 ワタクシ、その土地の時間の流れや生活の仕方に馴染むのが早くて上手いと自負しております。
日本にいるときは、ちょっと電車が遅れただけでカリカリしたり、サービス料取るお店でお皿が汚れてたら取り替えてもらったり、普段はどちらかというと細かいことまで気になってしまう方なのです。しかしこれが、インドへ行けば手で食べるし、トイレも手桶で水洗い。電車が2時間遅れても、まぁしょーがないよね。アジアの屋台ではバケツの水に潜らせただけのお皿で出されても全然気にしない。集ってくるハエたちを振り払いながら美味しく頂くのです。いちいちキャーキャー言ってたら楽しくないし、てゆうかそれが楽しいのに。そもそも嫌なら来なきゃいいのに。その文化のみなさんからしたら、こっちの方が圧倒的マイノリティーなんだからね。それを、自分の感覚がグローバルスタンダードかのように「野蛮だ」とか「不潔だ」とか「いい加減だ」とか、知ったこっちゃないのだ。

 ということが、旅先ならずとも日常のちょっとしたシチュエーションでも起こり得ると思うのです、というのが今回のタイトルです。

 例えば、満員電車。
 通勤ラッシュの田園都市線、すごいですよ。モミクチャで傘が折れたことも、お弁当箱が割れたことも、脱臼したこともあります。仕方ないんです、みんなその時間に乗るんだもん。いつも乗っている人々は、「無」或いは「絶」などの技を習得して、自分の降りる駅までやり過ごしているんです。仕方ない。苦しいのは自分だけじゃないんだもん。
 そんな中に、滅多にこの時間に乗らないんだろうなって人が乗ってくることがありますね。すると、足を踏まれれば「痛っ!」押されれば「ちょっと・・・!」と、いちいち被害者呟きをしてくる(人もいる)んですよ。自分が降りない駅では断固としてホームに降りず、降車客に道を譲らない(人もいる)んですよ。
 乗車マナーってね、通常運転時とラッシュ時では違うんですよ。ギュウギュウ状況下だけの暗黙の了解があるんです。人の流れに逆らわない、揺れには揺られる、ドア付近の人は一旦ホームに降りる、などなど。それがみんなの日常なのですよ。それを、いきなり乗ってきて「あぁしんどい!」みたいに振る舞われても、あんた何者だよって話ですよ。郷に従ってほしいですね。

 例えば、お店。
 お客様至上主義を当たり前に思っているというか、履き違えている人があまりに多いと思う昨今。コンビニやファストフード店で横柄な態度をとる人、居酒屋で店員に暴言を吐くオッサン・・・見たことないですか?頼んだものが正しく出てくることを、当たり前と思うなよ!そんなの限られた国だけなんだからな!・・・色々言いたいのですが、ここでは特に、店の個性を楽しめない人々についてです。
 殊、歴史あるお店には、馴染みのお客さんとお店との間に暗黙の了解のようなものがあります。と言っても特別難しいことではなく、客さんはお店を気遣って空気を読み、お店はお客さんの気遣いに感謝の気持ちを持っている、ただそれだけのことなのです。要は、思いやりなのですよ。ただ常連さんというのは、ここのご主人はどうされるのが助かるのか、を熟知しているというだけなんですよね。そんな中から自然と生まれた、特有のマナー、文化があり、それが同時に楽しみどころでもある思うのです。
 であるのに、です。「店員の態度が悪い」とか「注文を聞いてくれない」とか「常連にだけ優しい」とか、たまに某◯べログの口コミなんか見てると、散々文句書いて「再訪ナシ」って、それわざわざ書く事かい?って。自分のタイミングで「すみませーん」って言ったらいつでも店員が飛んでくるのが当たり前のサービスで、その感覚が正義だと思ってるんでしょうね。ファミレスと勘違いしてるんでしょうか。ご主人がお一人で頑張っているのが見えないのでしょうか。周りのお客さんのやり方に順応しようというアイデアはないのでしょうか。郷に従っちゃえば楽しいのに。勿体ない限りです。

 例えば、エスカレーター。
 わかってます。わかってますよ。本来、エスカレーター内の歩行は危険ですのでご遠慮くださいなの、わかってます。でもね。またこれも駅のエスカレーターとかになりますが、歩かない人は左!急ぐ人は右!なんです。どうしようもないんです。それで成り立っちゃってるんです。
 それをね、たまにいるんです。右側で断固として歩かない人。
 考えられるのは2パターン。
・ただ空いていたので右側に乗り、後ろがつっかえていることに気づかなかった人。→背後からの圧迫感、感じませんか?
・「エスカレーターでの歩行はいけないって言われてるじゃない!」という正義の人。→この状況で主張しますか?
 どうか、長いものには巻かれて頂きたいところです。

 他にもこんな事例はたくさんありそうですが、この辺で。

 人生、「これだけは譲れないぜ」というポリシーを発揮すべきシーンって、実はそうそうないと思うんですよ。自分の小さな正義をアウェーで振りかざすことに、どれだけの意味があるのか。「こんな汚い食器、使えないわ!」ってミャンマーの食堂で文句言ったところでオカシイのはコッチなのと同じく、口コミで「店員に愛想がない!」と文句言ってるソッチこそ異物なんですよ。
 もちろん誰しも初めてのシチュエーションはあるわけで、第一回から見事に溶け込むのは難しいこともあるでしょう。第一回はシクっても、次回に活かせばいいのです。私自身も、これからもたくさんの第一回に出会うことと思いますが、できればその環境を楽しめたらいいなと、その時だけでも順応できたらいいなと思っております。

(なんか優等生な着地をしてしまいました。)

ラコ論*「ビール」の響き*

今回は『ラコ論』ですが、着地点を見失ってグダグダです。こんなもんです。

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↑フランクフルトのパウラナー直営レストランにて。

楽しそうでしょ?楽しかったです!

美味しそうでしょ?美味しかったです!

 

 

*「ビール」の響き*

 「あ〜、ビール飲みたーいっ!!!」
暑い夏の日や、何かを頑張った後など、こんなセリフがつい口をつくこと、ありませんか?程良く冷えたほろ苦い炭酸で、プハーッ!スカッ!としたい時、「ビール飲みたい!」って言っちゃうんですよね。
 ところがね、これが「あ〜、酒飲みたい!!」だと、かなり印象が違うと思いませんか?ビールもお酒なのに。何なんでしょうねぇ?
 というわけで、「ビール」って響きについて、浅く考えてみます。

 ところで「ビール」がビールのみを限定するのに対し、「酒」は日本酒を指す場合と、アルコール飲料全般を指す場合がありますね。せっかくなので、「ビール飲みたい」の印象を、
「酒飲みたい」
に加えて、ついでに
「日本酒/焼酎/ワイン飲みたい」
とも比較検討してみたいと思います。浅く。


1 「酒」との比較

 「ビール飲みたい」と比較して「酒飲みたい」にはヤサグレ感、或いはアル中疑惑すら感じてしまうのですが、なぜでしょうか。もちろん、ヤケッパチの「ビール飲みたい」もあるかとは思いますが、それでも「酒飲みたい」の方には廃退感を強く感じるんですよね。「ビール飲みたい」に比べてネガティブな響きがあるような気がするのです。
 先にも述べた通り、「酒」と言った場合、日本酒を指す場合とアルコール飲料全般を指す場合がありますが、「酒飲みたい」という発言の場合、限定して日本酒ではなく、アルコール、しかもビール以外のアルコール類、殊ハイアルコールの飲料を連想している気がします。
「酒飲みたい」=「アルコールを摂取したい」=「酔いたい」=「飲まなきゃやってらんねーぜ」という構図が無意識のうちにできあがっていて、そのことが「酒飲みたい」という発言にネガティブな印象を植え付けているのではないでしょうか。
 じゃあ「ビール飲みたい」はポジティブな響きなのか?と考えたのですが・・・何でしょうね。ビールを飲むシチュエーションとして、明るいシーンを連想しやすいのですかねえ。乾杯ドリンクとしての圧倒的地位を誇ることからも、複数人で楽しく飲んだり、頑張った後にスカッと飲み干すような・・・どうもジメジメした感じがしないんですよね。炭酸だからでしょうか?私だけでしょうか?絶対的にポジティブな印象を与えるとは言いませんが、やっぱり「酒飲みたい」と並べると明るい響きなんですよね。


2 「日本酒/焼酎/ワイン」との比較
 
 例えばイカの塩辛を食べている時に「日本酒飲みたい」と言うのは、あんパンに牛乳・鰻の蒲焼に白米を合わせたくなるのと同義で、何の違和感もありません。また、寒い冬の日に「熱燗飲みたい」「お湯割飲みたい」というのもすんなり共感できます。しかし、そういった状況的ヒントが一切ない更地で「日本酒飲みたい」「焼酎飲みたい」「ワイン飲みたい」と聞いたら、「へ〜、日本酒/焼酎/ワイン好きなんですね。」と思いそうです。なんというか、それに限定してきたな、という興味というか、引っかかるものが生じるわけです。
 それに対して、唐揚げやソーセージを食べていなくても、暑い夏の日でなくても、ノーヒント状態で「ビール飲みたい」と言う人に対して、「え、ビール好きなの?」という引っかかりはないのです。これは、ビールが最も身近で一般的なアルコール飲料である(と思うのですが)からでしょうね。もはや「あ〜、なんか飲みたい」と同レベルのフツウさなのです。


 そんなこんなで、取り留めのないボンヤリを考察して『ラコ論』にまとめようとしてたのですが・・・取り留めのないまま、ただの個人的感想を発表して終了です。

ちーん。

カンボジア・タイ・ミャンマーの旅2016*プノンペン2日目③ 〜夜行バスでシェムリアップへ〜*

旅日記の続きです。プノンペンを後にして、夜行バスでアンコールワットのあるシェムリアップへと向かいます。

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今回は夜間の、灯りも余裕もない状況の記録なので、写真がないです。ので、プノンペン散歩中に見かけたオスモウサンの看板を載せておきます。「WiFi・・・」の呟きも切なく映ります。アイロンを手にしているあたり、この重量でプレスしたら折り目もピシッとしそうだというイメージ戦略なのか何なのかわかりませんが、よく見かけましたよ。

 

 

プノンペン2日目③ 〜夜行バスでシェムリアップへ〜*

 バスターミナルまで乗せて行ってくれるピックアップの車は、結局45分くらい遅れてやってきた。8人乗りくらいのバンだったが、既に6人の旅人が乗っていたので、幾つかのゲストハウスでピックアップして周ってきたのだろう。そのために遅れたと思われる。が、何の断りもなくこんなに遅れるものなのか・・・。さすがである。
 さて、深夜のバスターミナルに到着すると、バスと人でごった返している。どれが自分の乗るバスだかわからないので、バンに同乗していた旅人たちにとりあえずついて行く。どうやらコレと思わしきバスを見つけ、彼らとともにリュックをバス下部の荷物スペースに入れようとするも・・・もうパンッパンになっているではないか!見ると、巨大な段ボールやら米俵のようなもの、ものすごい量のオイル缶に造花の束など、確実に仕入れ帰りのラインナップに占領されている。そこにバスのスタッフのオニイチャンが、通勤ラッシュ時の田園都市線の駅員さんの如く、入りきらない荷物を体当たりでグイグイと押し込んでいるのだ。これ、リュック、壊れるんじゃね?この時まだ自分の荷物は大したサイズではなかったので、バスのトランクに預けることを諦めて、座席まで持っていくことにした。座席と言っても私が選んだのは、完全フラットで横幅もゆったりの、言わば寝台バス。リュックくらい、ちょっと横に置いておけばいいさ。

・・・のはずが。

 バスに乗り込んでみると、予約時に見せてもらったシートの写真と全然違うではないか!写真では、まさに寝台車といったベッド仕様にシートで、ゆったり2列シートといった様子だった。
しかし現実は、ピッチリ4列シートで恰幅の良い男性が並んだら間違いなく腕が密着するであろう距離感。フルフラットではなく、中途半端に120°くらいの背もたれといった程度。にもかかわらず2段構造で、私は一階だったのだが、起き上がると頭をぶつけてしまう高さ。リュックを置くどころの騒ぎではない。しかも車内は真っ暗。手探りの車内にギュウギュウと詰め込まれる様に、昼間見すぎたポルポトの惨劇がフと頭を過る・・・。これは一体何なんなん??
 が、「話が違う」と言ったところでアフターフェスティバルだ。日本であればクレームババァ降臨であるが、誰に訴えることもできやしない。心頭を滅却するしか策はないのだ。隣の席には西洋人の男性。私のようなコンパクトな者が隣になって、彼はラッキーだと言える。そんな彼も恐らく旅人であろう、バスの出発と同時に爆睡している。羨ましい。私はといえば、中途半端な背もたれと冷房の効き過ぎとフツーのボリュームでずっと喋っているイタリア人の声と空気の悪さにまんじりともせず、さっぱり眠れなかった。
 そして、眠れぬ眠れぬと悶々していると、突然忘れ物に気づいたのだ。

 シャワー浴びた部屋に、パンツとブラ忘れてきた!!!!!

 全く、どうかしている。キャップは忘れるわ、下着は忘れるわ・・・後から振り返ると、やはりこの日は心身共にくたびれていたのだろう。慢性的に不足している注意力が、ほぼ枯渇していたように思える。ともあれ、置き忘れたパンブラはいずれもそろそろ捨てようと思っていたものなので、後腐れはなかった。ただ、ブラは舞台で使用した際に付着した血糊が落ちないままの物であったので(早く捨てなさい)、発見者に不要の不信感を抱かせてしまったのではないかというのが気がかりな点である。

 そんなこんなで4:30頃、シェムリアップに到着。到着はいいのだが、ここがシェムリアップのどこなのかがわからない。しかしとにかくバスの停まるところにトゥクトゥク有り。ここでもトゥクドライバーたちが群がってくる。「今からアンコールワットに向かえばサンライズが見られるぞ、さあ乗れ乗れ!」と、皆アグレッシブだ。アンコールワットには明日からゆっくり訪れる予定なので、そんな誘いはどーでもよかった。それより早く荷を降ろして一寝入りしたい。そして一人なので、トゥクトゥクではなくバイクタクシーで充分なのだが・・・とウロウロしていると、バイタクと数台発見できた。シェムリアップでのゲストハウスは取っていたので、スクショした地図を見せて、「ここ、わかる?」と尋ねると、わかってなさそうな表情の後に「オッケー!オッケー!」。本当か?まあいい。きっちり値段交渉を経て、バイクにニケツ。まだ真っ暗の夜空には、たくさんの星が輝いている。アァ、綺麗だなぁ・・・と揺られていると、ドライバーがもう一度地図を見せてと。そしてUターン。立派なホテルの門前を掃除していたホテルマンに、道を聞いている。ほらみろ!わかっとらんがや!そこから延々と迷子で、すれ違うトゥクドライバーに地図を見せては至難を仰ぐこと数回、終いには親切なトゥクドライバーが先導してくれて、やっとゲストハウスに到着することができたのだった。支払い時、そのトゥクドライバーにチップを渡そうとしたが、要らないと言って去って行ってしまった。バイタクのお兄ちゃんも、日本だったら「なんでこんなに迷うんですか!」と文句の一つも言いそうなところだけれど、逆に「こんなに一生懸命探してくれて、ありがとね!」という気持ちになるから不思議だ。というわけで、乗車前に散々値切ったくせにチップを上乗せして渡すのだった。
 余談だが、いや、余談が肝心でもあるのだが、最初の値段交渉では相手がシブシブ(という演技かもしれないが)オッケーという最安値で決めて、サービスが良ければチップを弾む、というやり方が好きだ。お互い気持ちがいいではないか。

 さて、着いたはいいが、こんな早い時間にチェックインさせてもらえるだろうか?恐る恐る中に入り、起きてくれたスタッフに予約画面を提示すると、すんなりと部屋に案内してくれ、ベッドも使わせてくれるとのこと。ラッキー!2段ベッドが3つの6人部屋、既に4名が眠っており、全員男性のようだ。なんとなく、部屋の空気が男くさいような気もしたが、さっきまでのバスに比べたら何でもない。ちょうど1階のベッドが空いていたので、プノンペンでの学習を活かして当然1階を選び、そのまま眠りについたのであった。

 

 

 


 

カンボジア・タイ・ミャンマーの旅2016*プノンペン2日目③ 〜安定の迷子〜*

旅日記です。自分の方向音痴は自覚していたのですが、本気で自分のことが心配になった迷いっぷりでした。そして、この日のオッチョコチョイっぷりも大変なものでした。後から発覚する忘れ物やブッキングミスもあり・・・疲れていたんでしょう。そういうことにしておきたいです。

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↑駄菓子屋さんで出会ったアイスたち。袋の口、開いてるんです・・・

 

プノンペン2日目③ 〜安定の迷子〜*

 残酷でお腹いっぱいになって博物館を後にし、群がるトゥクトゥク勧誘を振り切って、徒歩で1.5キロ程離れた シルバーパコダ にでも行ってみようかと歩き始める。この日は深夜バスの出発まで、とにかく時間はたっぷりあるのだ。パコダには特に興味はないのだが、お散歩に当たって差し当りの目標物としてのパコダというわけだ。途中、駄菓子屋さん(?)で、私の好きそうな雰囲気のアイスキャンディを発見。マンゴーやドリアンなどのフルーツ系にも惹かれたが、興味深かったのが 黒米 と 青豆。とても迷ったが、店員さんのオススメで青豆とチョイス。販売形状としては日本で売られているいわゆる個包装のアイスバーだが、・・・デフォルトで袋の口が開いている!最初に手に取った時は不良品かと思ったのだが、見れば全品オープンマウスではないか。異物混入とかなんとか、そういった概念が土台ないんですね。それはそれで、なんだか信頼できてしまう気がします。それはさて置き、このアイスがとても美味しかった!ココナツミルクがベースなのか、脂肪分が植物性のようでとてもあっさりしていて、ほのかに甘く煮込んだ青豆の風味もスンバラシイ!こんな美味しいアイスキャンディーが1000リエル(約25円)だなんて!しかしさらなる驚きが!なんとアイスの棒が折れているではないか!これはデフォルトではあるまいが、いやはや、これが日本ならばお客様センターに直送である。

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 ・・・とアイスの余韻に浸りながら歩くこと小一時間。真反対方向に歩いていたことに、やっと気がつく。
よくここまで気付かずに、というか、途中何度も確認しながら歩いていたにも拘らず、それでもきづかなかった自分に自分でビックリ。すごいね私。と感心しつつ引き返すのだが、その後にも10回以上道を誤り、サンダル擦れも限界に達したので絆創膏が買える店を探しつつ、何屋か解らない何でも屋風のお店で絆創膏を1枚2.5円で購入し、喉もカラカラだったので、同店で缶ビールも購入。なぜかストロー付き。この時は戸惑ったが、この後も何度か缶ビールにストローが添えられる場面があった。諸々の要素から鑑みると、缶に口を付けることが衛生的でないという考えなのではないかと推測される。アイスの口は開けっぱだけど。缶ビールを飲みながら歩いていると、人通りの多くない路地であったが、すれ違う人にほぼ二度見された。歩きながら食べることはあっても、ビールを飲むというのは非常識のようだ。これはいかん、と気づき、半分くらい飲んだところで排水口に流し、ソソクサと空き缶をゴミ箱にポイしたのであった。

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↑絆創膏。粘着力が弱く、すぐに取れちゃった。


 
 さて、そんなんこんなで想定の倍以上の時間をかけて、シルバーパコダに辿り着いた。が、やはりあまり興味が湧かず、外からなんとなくそのフォルムを眺め、近くを流れる トレンサップ川 の川辺で、木陰を探して横になってみた。

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・・・気持ちいい〜

 どうやら疲れていたようだ。一息ついて、荷物を預けているゲストハウスに戻ることにした。その道中でワインショップを発見。プノンペンメイドのお酒はないかと尋ねると、幾つかのリキュールを紹介された。まだ1都市めで荷物を増やしてはいけないと思い、バナナとシナモンの入ったリキュールを極小瓶で購入。帰国したら妹と飲もう。
 ゲストハウスの近くの食堂の店先では、昨日も気になっていたのだが、ヤキトリと同じノリで蛙が丸焼きにされていた。気になる・・・。蛙は食べたことがない訳ではないが、美味しかった記憶はない。しかしそれは丸焼きではなかった。みんな食べているところろ見ると、日本の蛙より美味しいのだろうか?おなか壊したりしないだろうか?怖いならやめておけばいいのだが、好奇心には勝てなかった。ハエだらけの席に通され、蛙(約100円)をいざ実食!味としては、聞かずに食べたら鶏肉。が、蛙で食あたりになったという話が頭をチラつき、味に集中できなかったというのが正直なところ。鶏肉みたいと言いながらのチキンハートである。

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ぴょん吉・・・・

 

 さて、ゲストハウスに戻ると、何はともあれ日焼け止めと汗と砂ぼこりでベットベトの顔を洗わせてもらった。(この時、脱いだ帽子を洗面所に置きっぱなしにしてしまった。)顔がサッパリしたところで、ゲストハウス1階のバーでとりあえず生ビール。(言い忘れてましたが、新鮮な美味しいラガーが、何と約100円ですよお父さん!)ここのバー、オープンテラスでソファーもあって、とても寛げる。宿泊者は私以外全員西洋人で、このバー空間だけ見るとカンボジアだとは思えない。
 一杯飲んだら、時間つぶしにまたマーケットでも行ってみるか〜と考えていると、オーナーがやってきて、バスの出発前にシャワーも使っていいよ、とのお声がけをくださった。それはありがたい!せっかくなら汗をかく用事を全部済ませてからが良いなと思い、先にマーケットへ向かうことにする。空腹感はなかったが、生春巻きのようなものが気になっていたので、興味を満たすべく購入。ものすごく普通だった。普通だという結果に納得し、ゲストハウスに戻る道中、また道を間違える。もはや才能だと思った。

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↑しっかり美味しいビール、約100円!

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↑日本のベトナム料理屋さんの方が美味しいかな。

 

 ゲストハウスに戻って、ふと気づいた。

・・・・・あれっ?私、キャップ被ってなくない?
どこ行ったんだろう?さっきバーで飲んでるときには被ってなくって、えっと、えっと・・・あ!!!顔洗った時だ!!慌てて洗面所を探すも、見当たらない。スタッフに聞きまくったのだが、誰も見ていないという。ガーーーン。気に入っていたのに・・・・。ショックである。全くもって高価なものではないし、むしろ使いすぎて少し壊れていたのだが、それだけ愛着のあるキャップだったのだ。
 しかし、取り乱していても仕方がないので、とにかくシャワーを使わせてもらうことにした。昨夜泊まったドミのシャワーを使わせてもらえるとのこと。ちょうど部屋には誰もいなかったので、入り口から死角になるところに脱いだ下着を引っ掛けて、シャワーを浴びた。キャップ、見つからないかなぁ・・・と思いつつ、シャンプーとボディーウォッシュでサッパリして、しかしこの時バスタオルがなかったので、人が来たらハダカンボウで鉢合わせだ!と大急ぎで服を着て、ロビーへと降りたのだが・・・本当にこの日は、注意散漫だった。
・・・死角にぶら下げたおパンツとブラジャーを忘れてきたことに気づくのは、次の街シェムリアップに着いてからなのであった。

 もうキャップのことは忘れることにして、深夜バスのピックアップまでもう一杯ビールを飲みながら、シェムリアップでのゲストハウスをブッキングしようと腰を落ち着けた。ブッキングも完了(またこれが注意散漫で・・・結果は追々)し、手書きの日記をつけ始めたところで、人懐っこい男性スタッフが片言の英語で話しかけてきた。片言な上に訛りもすごい(人のことは言えないけれど)ので一問一答にとても時間がかかったが、とにかく私の年齢で女性が結婚もせず一人で海外旅行をしているという状況が全く飲み込めないようで、「Why!?」の連発。(このくだりは、*ラコ論〜(36歳・女性)*編をご参照ください。)最後には「僕と結婚しよう!」と言い出したので、言葉がわからないふりして笑ってごまかしつつ、バスのピックアップ時間はとうに過ぎているのに、一向にやってくる気配はない。遅れるものだとは聞いていたが、なんだかんだで30分以上過ぎている。

 あまりの遅さに不安を募らせつつ、次回へ続く。

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↑日本語を教わるふりして、この後、愛の告白・・・

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↑こんなおばさんじゃなくて、現地で可愛い子を見つけてくだされ!

 

 

カンボジア・タイ・ミャンマーの旅2016*プノンペン2日目② 〜キリングフィールド〜*

久々に旅日記です。なかなか進みませんが、気長にやってみます。

今回はキリングフィールドを訪れますよ。

この写真は、キリングフィールド内の展示室の入り口にあった注意書き。

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土足もタバコもダイナマイトも持ち込み禁止です。

 

 

プノンペン2日目② 〜キリングフィールド〜

 リーさんの運転するトゥクトゥクに揺られて、相変わらずものすごい砂ぼこりの道路をガタゴトと、キリングフィールドへ向かう。マーケットで貰ったサトウキビジュースをちびちび飲みながら、なるべく日陰に入りながら、砂ぼこりのせいで目を細めながら、しばらく走ると、ふと市街地から田舎道へ抜けた。都合1時間くらいのドライブで、キリングフィールドへに到着。リーさんには入り口近くの食堂で待っていてもらい、いざ入場。

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↑リーさんのトゥクトゥクに揺られながらサトウキビジュース。甘い・・・・

 


 入り口では各国の言語のイヤホンガイドが用意されており、当然日本語バージョンを借りるのだが、そのガイドの喋り方が妙に訛っていてというか癖があって、後になって脳がクラクラしてきた。それはさて置き、キリングフィールドとは、ポル・ポト政権下で大量虐殺が行われた刑場跡で、知らずにパッとみれば、手入れの行き届いた公園といった様子である。しかし、そこここに残る血痕や衣服の切れ端、大量の人骨、慰霊塔にはリアリティを超越した頭蓋骨が積み上げられて、のどか過ぎる自然の風景との同居に違和感しかなかった。何を思ったらいいのかわからず、イヤホンガイドのせいか、疲れのせいか、或いは無意識ながらに感じるものがあったのか、前述のように、クラクラしながらこの地を後にした。

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↑こんな、ピクニックでもできそうな感じと、時間が止まったままの人骨。


 お茶を飲んでいたリーさんに「お待たせ〜」と言い、この後のスケジュールを交渉。丸一日かけて市内観光のプランをガン推しされるが、他に興味のあるのは市内にあるトゥール・スレーン博物館だけだったので、そこで降ろしてくれたらもういいよということで、言い値の半額で交渉成立したが、言い値がかなりふっかけてきていたので、リーさん、半額でもまあまあいい儲けになったのではないかと思われる。

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↑リーさん、オークン(ありがとう)!


 博物館の前でリーさんとお別れし、いざ入館。ここもまた、ポル・ポト政権が校舎を監獄として利用していた建物で、当時の拷問器具や独房跡などが展示されている。例によって入り口でイヤホンガイドを借り、残酷と恐怖と理不尽の境地を目にしながらナレーションにガイドされるのだが、先のガイドを同じ声の主だろうか、微妙な節回しが脳みそを掻き回す。ここでも、暗く湿った校舎の中と、燦々と陽の当たる明るい中庭とのギャップにどうもピンと来ず、違和感だけを抱きつつだんだん飽きてきた頃、履いていたビーサンの鼻緒(っていうの?)で靴擦れし、日本からたくさん持ってきた絆創膏をゲストハウスの預けたリュックサックに入れたままというオッチョコチョイを悔やみながら、それでも一応一通りは見学して、博物館を後にしたのだった。

 もう、人骨と残酷物語で飽和状態。

 

 

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ラコ論 *(36歳・女性)*

こんにちは。今回は ラコ論 です。日常や非日常でフと抱いたプチ疑問やプチ発見を少しだけ掘り下げて、それ以上掘り下げないシリーズです。

 

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↑高校1年生の私。この頃から中身が変わってない・・・

 

 

 *(36歳・女性)*
 

 (36歳・女性)が一人で旅してるってどんな状況よ?って驚かれて、我に返った話です。

 バックパッカーデビューが20代後半と比較的遅かったこともあり、たまに長く休める時期を狙って一人で海外をウロウロしているうちに、2016カンボジア〜タイ〜ミャンマーの旅の頃には36歳と相成っておりまして。
 36歳、女性。既に家庭を築いていれば、家族を置いて一人で旅に出るというのがメジャーな選択ではなかろうことは、安易に想像がつきます。一方、独身で働く身であれば長期の休みはなかなか取れないだろうし、或いはまとまった休暇に旅行でもとなれば、ある程度のラグジュアリーを確保したバカンスを選択するのではないでしょうか。そんな中、妙齢のオンナがでっかいリュックサック背負って安宿とオンボロバスを渡り歩いて何やってんだ?・・・って、そりゃ謎に思いますよねって事にやっと気づいたのが今回の道中だった、というお話です。
 もう少し話を広げると、世の中に於ける(36歳・女性)の概念と、自意識との距離感を自覚した、ということ。冷たく言えば、「いい歳して何やってんの?」てことですよ。

 旅の途中でいろんな国からの旅人や現地の方々と話をする中で、私の年齢と一人旅である事を明かすと大概、「なぜ一人で!?」と驚かれます。女性、殊アジア人女性の一人旅自体が珍しいので(欧米の女の子バックパッカーは結構いるのになぁ)、20代の頃でもやはり「え〜!女の子一人で、怖くない?寂しくない?」という反応は同じくあったのですが、今回はそれに加えて、「家庭はいいの?子供や旦那さんは家に残してきたの?」というクエスチョンを浴びる事が何度もあったのです。特に現地の人々には、そもそも女性がこの歳で独身であること自体が謎すぎるようで、もう、なぜ一人旅なのかよりも「ナゼ!?ナゼ結婚していないのだ!?」と、人それぞれのアクションで驚きと疑問を表現してくれるのでした。女性の独身を珍しく思わない文化圏の人であっても、やはりバックパッカーで一人旅といえば若者の旅スタイルというイメージが強いようで、何か触れてはいけない理由があるんじゃないかと気を遣われているような気配を感じることもあったものです。

 「ナゼ(36歳・女性)が一人で旅をしているのだ!?」を最初に追求してきたのは、プノンペンで泊まったゲストハウスの男子スタッフ。有難い(?)ことに彼は私のことを20代前半と見積もっていたそうで、実年齢を教えてもなかなか信じてもらえず(自慢してるんじゃないですよ、そんな歳のオンナが一人でこんなトコ旅してるワケないという、彼の先入観なんです)、パスポートを見せて証明すると、かなり衝撃を受けていました。36歳で女性がフラフラと一人で旅をしているなんて!ガーン!・・・というリアクションを突きつけられて、こっちこそガーン!でした。
それ以降、彼ほど執拗に私の現状を解明しようとしてくる人はいなかったけれど、歳を訊かれる度に、自分が世間にどう映っているのかということを意識するようになり、バツが悪いというか、年甲斐のないことをしている自分に後ろめたさを覚えるようになったのです。「いい歳して何やってんの?」と。

 そんな折、カンボジアからタイへ向かう長距離バスの中で、同い年(いや、一個下だったかも)日本人バックパッカーリョータくんと知り合いました。彼は一週間の休暇をとってカンボジア〜タイを旅しているとのことで、私は同年代の日本人を見つけたことが嬉しく、上述の旨を話してみました。彼にも似たような経験があったようで、「自分たちの年齢がどういう社会的イメージを持たれているのかってことにハッとさせられる瞬間ってあるよね」と共感を得られました。
 この感覚を共有できる仲間を見つけたことは、まず私を安心させました。そして、モヤモヤを言葉に表してみたことで、気持ちも脳みそも整頓されました。で、気づいたのが、冒頭の(36歳・女性)に対する社会的概念と自意識との間にの距離、だったのです。
 つまり私は、自分が『36歳たるもの』になっていたことに、自覚がなかったんですね。いつまでも若人の延長線上にあった自意識との現在地との距離に気づいて、「えっ、もうココ?」ってキョロキョロしたんですね。
 そういえば卒業後の進路だって、「私は演劇の道を進むんだ!」といった決意をしたのではなくて、就活時期に手がけていた公演にかまけて面倒なことから目を逸らし続けているうちにまた次の公演が決まって、目の前の好きなこと楽しいことにおびき寄せられながら気づいたらイマココ、というナァナァなものでした。あの頃も、自分がいわゆる『人生の岐路に立つ年齢たるもの』であることに気づいていなかったんじゃないかと思うのです。自分の相変わらずさに、苦笑いです。

 きっと、自分が『何歳たるもの』であることに無自覚であったからこそできたこともあったかと思います。バックパッカー旅もそうだし、今の仕事もそうだし、きっとたくさん。でも、どこかで「いい歳して何やってんの」っていう声も聞こえてくるんですよね、他人からじゃなくて、自分の中から響いてくる声が。
 そんな時、自分と『何歳たるもの』との隔たりをわかっていれば、それに臆せずにいられるんじゃないかと思ったのです、と言うか、開き直ったのかな。「はいそうです、私はちょっと珍しい趣味とライフスタイルでやってます、でもこれ自分で選んでやってるので大丈夫です。」っていうことをわかっていようと。長距離バスという名の精神と時の部屋で、静かに開き直りました。

 「いい歳して」やってることをわかっててやってやろうじゃないかと、少しだけリニューアルした(36歳・女性)のバックパッカーだったのでした。


注:文中の年齢は、2016のものです。